おばあちゃんとかのはなし
父方のばあちゃんがボケたのは今から2年くらい前か。
よく覚えていない。
ボケた(要介護1になった)と初めて聞いてから会ったのは2013年の正月くらいだったと思う。会ったときは普通に大きくなったねと言ってくれて僕の隣に並んで、なんだあんまり変わらないじゃないかと思った。
次に会ったのは2013年の盆。
そのときも大きくなったねえと僕の隣に並んでうれしそうだった。
2013年の暮れから2014年の正月にかけてもそんな感じだった。
すごい変化が感じられたのは2014年の盆に帰省した時で、僕は高校3年くらいの年齢で就職活動していることになっていた。
また、就職して働いていることにもなっていて、「就職はどうするの」と「仕事はどうなの」と「あれー大きくなったねえ」の3つを繰り返し僕に訊いてくる感じだった。
かなりショックを受けたが、こういう病気なんだと割り切って根気よく会話したつもりだ。
去年の12月上旬には軽い脳梗塞が見つかったらしく、年末に帰省した時は入院先の病院で会うこととなった。
そのとき、父さんと会いに行ったのだが僕の名前をおばあちゃんは思い出せない様子だった。
泣きそうになって声も出なかった。
「お父さんとお母さん元気かい?」という問いにもうなずくしかなかった。
地元近くに住んでいる他のイトコの名前は出るようだった。
そのあと2014年中に2回くらいお見舞い行ったが、おばあちゃんの口から僕の名前が出てくることはなかった。
年が明けて僕が関東に帰る前に1度様子を見に行ったところ、ふとした瞬間に僕の名前を呼んでくれてとてもうれしかった。また泣きそうになった。
その日は僕の名前を4回くらい呼んでくれて、覚えていてくれたんだなと感動した。
また高校3年生になっていたが。
一人暮らしはもう無理ということで退院したら介護施設にはいるらしいが、とにかく元気でいてもらいたい。できれば僕の名前を憶えていてもらいたい。
忘れてても何回か顔出したら思い出してくれるかな。
僕の父さんと母さん、父さんの姉が中心になって様子を見に行ってるようだが、その負担も心配である。
この年末年始は少しセンチメンタルな感じになって20代の頃の僕はこんな汚い写真を撮ってたんだなと、もし僕が認知症になったときに振り返ることができるようにダイエットの記録を残すことにした。